桃花紅 とは
辰砂釉にはその色によっていろいろな名称がつけられているが、一般には牛血紅,火焔紅、桃花片が有名である。辰砂の基礎釉を大別すると生釉とフリット釉に分けられ、フリット釉では中性?でも辰砂になる。
しかしフリット釉を用いた朱紅色は一般には銅赤釉とよんでおり、辰砂といえば生釉を用いて高温で焼成した作品に対してこの名称が使われている。辰砂をかける素地は白色の方が銅による赤色が美しくなる。わが国や支那では素地に特徴をもたすというよりはむしろ釉の色調を重要視してきたので、素地の質はほとんど問題にされていない。このため辰砂釉をかけた素地もかんたんに"磁器"と呼んでいるが大部分は炉器である。
釉に銅成分を複雑に分布させて還元焔で焼成し、次に空気をわずかに増して酸化第一銅の赤色を保たせ、おだやかなうすい紅色(をした辰砂釉)を桃花片、桃花紅 あるいは海棠紅といい、これをヨ−ロッパではPeach-Bloom(桃の花)と称している。この作品をつくるのが非常にむずかしく、この釉をかけた作品は数が少ない。酸化銅を加える量は0.3〜0.5パ−セント程度の少量である。焼成条件はきわめてむずかしい。
桃花紅 について
「桃花片をよくみますと、これは一様の色ではなく、幾分か紫を帯びたぼんやり薄い桃色の地に、濃い桃色で、それが段段ぼかされて薄い桃色の部に移り、又、品物によっては桃色の外一部分は幽かに緑色又は黄色を帯び、又所々に、はっきりした濃い緑の小さい点が散らばっている物もあります。」
さて桃花紅中の緑点すなわち苔点は第二酸化銅の呈色によるが、それが多くなると桃花紅 は窯変して蘋果緑となる。いづれにしてもこの紅緑の点点の相映ずる美は比類なきもので、陳劉は「陶雅」に「満身苔点。泛泛於桃花春浪間」と云い、或いは「緑如春水初生日。紅似朝霞欲上時」と詠じてこれを賞めている。
また許之衡は「説瓷」に「紅釉中有緑者。謂之苔點苔點渾成一片者。謂之蘋果緑。蘋果緑。有似老苔盪漾水中。微放金光者。乃真奇品也。又有一二片段。忽呈鮮紅奇采者。兼有金星。爲幟志也。」とのべて、その妙趣を説明している。
桃花紅 合子一対 (大清康煕年製) 永青文庫 桃花紅 はピ−チ ブル−ムとも称されている。
これは紅色のなかに緑の苔のごとき窯変の出たもので美しい康煕の名品といわれ、太白尊(宝珠形に近く胴腹が大きく口が小さい水柱)、観音瓶(観音像が持っている小さい水瓶)、小合(香合や印肉入れ)、など小さい器が多い。
豆工 豆 紅(タオ ホア ホン)ともいっている。これらには「大清康煕年製」という銘があるが、いわゆる郎窯には銘の入ったものがない。
蘋果緑 これはアップル グリ-ンともいわれている。
これは郎窯のごとく紅色をもって焼成する目的であったものが、たまたま窯変で緑色に焼成されたものといわれ数が少ないので欧米人に貴重なものとされた。
わが国にはほとんどない。
参考 (陶磁大系 清の官窯 杉村勇造著 平凡社
)
桃花紅碗について
清朝康煕時代を代表する単釉磁器の傑作。皇帝皇族への献上品として、江西省長官 郎廷極が作った。遺品は極めて少なく。中国陶磁史上、最も高価で貴重な焼物である。
桃花片(桃花紅)
郎窯の牛血紅の濃い紅色に反して、おだやかな薄い紅色の、例えば朝霞をへだてて桜の花を見るようなたいそう奥ゆかしい色を出す釉があります。これを桃花片 、海棠紅などの名で呼ばれ、西洋ではPeach-bloomといわれ、数多い釉裏紅のうちで最も貴いものとされています。窯の技術にかけては、古今に比べるもの無いといわれた康煕の名工でさえ、桃花片 を作るのがたいそう難しかったと見え、この釉をかけた器は数も少なく大部分は、筆洗、小瓶などのような小型の文房具です。桃花片 をよくみますと、〜中略〜。これも郎窯の一種で微妙に窯変した物だと在来考えられていましたが、よく研究してみますと、郎窯とは作り方が違うのであります。
これを顕微鏡で見ると、ある部分では牛血紅のように五つの色が層をしている所も有りますが、だいたいに郎窯のように整然とした層をしていません。
かすかに青色をした所を見ますと、表面の第一層と最後の第四層が発達して第三層は欠けているか、ごくわずかに残っているに過ぎません。
また濃い桃色の群がっている所は、第三層がたいそうよく発達して赤い点が点点と散らばっています。濃い青色(緑)の斑点の部分を見ますと、これは青色(緑)の酸化第二銅で色がついていますが、その中に金属の胴をも含むこともあります。
桃色がなく、青、薄緑の所は、銅が釉の表面近くか、あるいはごく薄く散在していたため、最後に仕上げのときに、入ってきてわずかの空気中の酸素は銅の大部分を酸化し、そのため無色又はかすかに青色を帯びた第一層が、直ちに第四窯、すなわち比較的大粒のコロイドより成る藍色の層と続いたのです。
もしこの場合、釉中に鉄分があればこれは酸化第二鉄となって釉にわずかの黄味をあたえます。またある部分は、銅の分布は誠に具合よく銅は釉の表面にはあまり無く、中間に多く散らばっていたため、仕上げの酸素はこれまで進んできても、これを酸化する力が無く、ただ還元された銅を細かく砕いて、紅色を出すくらいの大きさにしたのであります。
また濃い青色のある所は、分散されたコロイドの銅が表面に多く集まり、凝り固まり、仕上げのときに入って来た酸素によって酸化され、酸化第二銅となり、釉に溶けて、釉を青に染めたのであります。
もしもここで酸素の量が充分なければ、凝り固まった銅の一部は酸化されず、金属銅のまま青色の酸化第二銅に富んだ釉に包まれて残っています。すなわち桃花片 も、仁松の紅赤銅釉や郎窯と同様の原理に基づいて生まれたのですが、ここでは銅分が釉中に一様に散らばらず、各層のところどころに、或いは濃く或いは薄く、複雑に分布していたのです。かように銅分に分布を複雑にするのは、なかなか面倒な手数がいります。